鳥取市浜坂、鳥取市江津・秋里の時代別歴史研究です

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序 浜坂の縄文の風

浜坂小学校下の川沿いを歩きながら風に吹かれると、ふと目をやり思い起こします。子供の頃に見た縄文~古墳時代の遺跡跡。当時の景色、当時の人々のくらしに想いをはせます。

自然の成立ち

鳥取平野と千代川

古砂丘や鳥取平野、湖沼などの地形形成、海退に伴う豊かな緑に覆われた縄文時代の鳥取浜坂砂丘とそこでの古代人の活発な活動、大きな気候変動による海進で人の生活が消えた不毛の砂丘などを扱います。

古代・黎明期(縄文~古墳時代)

荒神山遺跡と出土した土器

 鳥取市浜坂周辺の古代遺跡と、その時代・地理・規模、及び「浜坂神社の伝承」や石塔・苗字などから浜坂・秋里・江津古代人のルーツを考察します。また、大規模な気候変動による砂丘の不毛化と、人々の集団移転の「空白の歴史」を追求します。

飛鳥・奈良・平安時代

初期浜坂村と大多羅大明神が在った多鯰ケ池

 古代因幡の国の起こり、律令政治の班田収受の法と農民のくらし、湖山池から鳥取市江津にかけて拓かれた大荘園「高庭荘」、因幡の国津(代表港)として栄えた旧千代川沿いの江津、多鯰ヶ池周辺にあった浜坂集落など。また、奈良・平安仏教及びこの時代に活躍した因伯に関係する歌人をとりあげます。

中世期(鎌倉・室町時代)

室町後期に特徴を持つ福部砂丘の五輪塔群

武士の台頭から後醍醐天皇と舩上山(鳥取県琴浦町)、鎌倉幕府の成立と守護大名の誕生、因幡の山名氏の鳥取支配と3城時代、目覚める久松山と天険の鳥取城、浜坂村の萌芽と鳥取市江津の農村化のはじまり、両村の性格はどう形成されたのかなど。

近世期(安土桃山・江戸時代)・Ⅰ

明治初期に取り壊された鳥取城

 秀吉による鳥取城攻めと、その戦略的要衝地であった浜坂、徳川時代の幕開けと32万石鳥取藩の誕生、城下町や在郷町の拡大、兵農分離による農民のくらしの変化、飢饉と一揆、伴九郎兵衛が開いた浜坂新田村と密貿易と隠れキリシタンの拠点の十六本松など。

近世期(安土桃山・江戸時代)・Ⅱ

丸山絵図(江戸時代)

鳥取藩政時代の文化や教育、藩主の舟遊びや水灯法事が行われた風景絶佳の弁天島、藩主が休憩された浜坂の茶屋と村人の苦労、農業・漁業・産業、浜坂地区の庄屋たち、但馬往来と犬橋・犬塚と柳茶屋、鳥取砂丘の一里松と砲台跡など。

近代期(明治・大正時代)

仁風閣(明治40年)

 明治維新による鳥取県の誕生と島根県との併合、四民平等と苗字、汽船や鉄道、電気・ガス・水道・電話・新聞などの近代事業、軍の近代化と徴兵令、鳥取砂丘で鍛えた鳥取40連隊、日清・日露・第一次世界大戦、相次ぐ水害による千代川の改修と水に沈んだ鳥取市江津の農地、旧中ノ郷小学校の設立や変化するくらし。

現代期(昭和ー戦前・戦中・戦後復興)

旧中ノ郷小学校

第二次世界大戦の戦前から戦後の日本と鳥取の人々のくらし、農地改革と農村の変化、鳥取大震災、鳥取大火災の二度にわたる鳥取市の壊滅とそこからの復興、罹災者住宅建設や砂地農業から始まる浜坂地区の拡大、旧千代川の埋立による江津の新農地造成など。

現代期(昭和・平成・令和時代)

鳥取大学乾燥地研究センター

 日本の高度成長と鳥取市の発展、浜坂団地の開発から始まる鳥取市浜坂地区の変貌、課題と希望の未来など。

浜坂砂丘と私たちのくらし

鳥取砂丘・多鯰ヶ池

 旧鳥取陸軍40連隊の訓練場としての鳥取砂丘、砂地農業に向けた砂との闘い、自然保護活動、観光・行楽・レジャー、今は無き浜坂スリバチと十六本松(鳥取市浜坂)の美林、世界の鳥取大学乾燥地研究センターなど。

戦地からの手紙

円護寺公園墓地のビルマ戦線慰霊塔

日中・日露戦争、第二次世界大戦の悲惨な記録に、平和の尊さをしみじみと感じます。世界の戦火が絶えぬ今だからこそ、伝えていきたい鳥取陸軍40連隊の戦争の記録です。