小学校の建設
昭和48年(1973)4月開校に向けて、代々山を整地しています。後方に浜坂村の人家が見えます。
浜坂小学校の建設が始まりました。昭和47年(1972)。後方右から丸山、久松山、本陣山などが見えます。
概ね、形ができあがってきました。
浜坂小学校前の坂道工事です。昭和39年(1964)頃、浜坂団地の開発とともに整備されました。それまでは、砂丘方面へ行く道は、浜坂犬橋を渡って村を抜ける旧但馬街道でした。左手が後に浜坂小学校が建つ代々山です。尚、学校下の浜坂江津橋ができるのは、十数年後の昭和62年(1987)です。それまでは、車で江津方面に行くには丸山経由でした。
昭和30年代、砂丘に行くには浜坂バス停で降り、ここから村の中へ入りました。未だ道路は舗装されていません。右手に六地蔵、後方に浜坂村公民館が映っています。公民館後方が浜坂小学校の建設地です。
昭和48年(1973)4月、浜坂小学校校舎が完成しました。体育館は遅れて同年5月の竣工のため、入学式は校庭で行われました。5月30日、城北小学校とのお別れ会(城北小学校にて)、翌日の6月1日に浜坂総学校の開校式が挙行されました。浜坂小学校の歴史の始まりです。
全てが完成した浜坂小学校全景。校舎の周りはまだ畑です。
同年9月30日、開校記念の秋季大運動会を浜坂小学校校庭で行いました。
新しい体育館の建設
令和2年(2020)1月、およそ50年が経過して老朽化した体育館を解体し、新しい体育館建設に向けた工事が始まりました。
2021年(令和3年)2月、1年以上にわたる工事期間を終え、新体育館が完成しました。
新校舎の増築工事
鳥取県下一のマンモス校になった浜坂小学校。新たな校舎を建設する前に、敷地内に眠る遺跡を調査しています(令和2年9月~11月)。ここは、縄文時代後期の遺跡が発見された都築山の隣接地となります。
令和3年(2021)春、遺跡調査を終えた敷地で、新校舎の建設がいよいよ始まりました。毎日、登校するたびに建設は進んでいきます。
令和4年(2022)6月。ほとんど完成に近づいた新校舎です。
令和4年(2022)の年末、新校舎が完成しました。そして、令和5年の新年より運用が開始されました。
50周年を迎えて
浜坂小学区は令和4年(2022)6月3日、同校体育館にて50周年記念式典を挙行しました。また、ここから新たな歴史が始まります。
同年11月、コロナ禍の中、今年も元気にはまっこフェスティバルを開催しました。