「嫁殺し」と表現された砂丘農地の水やり (動画)

 「嫁殺し」と表されるほど過酷な重労働だった砂丘地の水くみが、昭和30年代まで行われていました。焼け付く砂に水をかけて作物を作ったため、すり鉢のような浜井戸から日に何度も水を担ぎ上げ、水かけをする作業は女の仕事であり、浜に来た嫁にとって、泣くほどつらい作業だったと言われています。この動画は湖山砂丘のものです。

「日本風土記・鳥取砂丘」より

砂丘の砂嵐 (動画)

 昭和17年作成のもので、十六本松砂丘や浜坂砂丘における「砂」との闘いに触れています。昔の浜坂の厳しい自然の様子が理解できます。現在は、砂防林などに守られて住み易い地域になっています。

砂防林をつくる(動画)

 「砂防造林の父」と呼ばれる鳥取高等農業学校(後の鳥取大学農学部)の原 勝(はらまさる)教授は、私費を投じて海外の砂防工事を研究し、昭和8年、画期的な工法を生み出しました。

「日本風土記・鳥取砂丘」より

鳥取陸軍40聯隊の砂丘における訓練

 鳥取陸軍第40聯隊は、砂丘地で鍛えて「健脚部隊」として有名になりました。
 彼らは、当時のビルマやサイパンなどの激戦の地に送られ、多くが命を失いました。生還した人々は、かつての訓練の地の一角に「連隊記念碑」を建立しています(砂丘会館手前の松林)。そこに刻まれた言葉は、「 われら この地に 祖国を守るため 身心を 鍛錬したり 」。砂に刻まれた苛酷な時代の記録です。

「日本風土記・鳥取砂丘」より