砂丘仙人 奥田氏

現在、「私の庭の四季」を公開中です。

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私の生まれ故郷ー双子スリバチ物語

砂丘仙人(奥田隆治氏)は、旧鳥取陸軍四十連隊の兵舎を利用した(現)鳥取大学乾燥地研究センター敷地内で生れ、現在に至るまで同地に暮らしています。砂丘から生まれる湧水(オアシス)や子どもの頃の乾燥地研や周辺の地理などの思い出を綴ります。

中ノ郷のおいたちーⅠ(覚寺・円護寺・浜坂編)

古砂丘と鳥取平野の形成、砂丘と古代人、覚寺や円護寺、浜坂の人々はどこから来たのか、それぞれの歴史や史跡などを紹介しています。

中ノ郷のおいたちーⅡ(新田・丸山編)

伴九郎兵衛と新田村・伴山の誕生、荒神山遺跡、十六本松の松林や由来、丸山城と奈須日本介、重箱などを紹介しています。

砂丘の自然現象と失われいく砂丘

砂表の温度と風によって、砂丘には様々な現象が見られます。砂丘の起伏の代表スリバチ、各種風紋、砂層、高師小僧など。その形成と維持のメカニズムとともに、それが失われつつある砂丘の現状に警鐘を鳴らします。

砂丘の植物ものがたり

 常に風砂の流れが変わる砂丘では、植物の生き死のドラマが繰り広げられています。同じ植物が同じ所に一年以上あると言う事は、砂丘が死んでいると言う事です。砂丘に自生する植物を食用にするなど、様々な思い出とともに語ります。

多鯰ヶ池の神秘

多鯰ヶ池の成立ちの不思議、砂丘との「呼吸」によって水位を保っている神秘、独自進化をとげた魚のタナゴの絶滅、昭和初期の姿など。子どもの頃から釣りや泳ぎをした思い出とともに語る大変興味深い内容です。

福部砂丘ものがたりー神功皇后・応神天皇伝承

福部砂丘の二つ山は、伝説上の人物の神皇皇后が15代応神天皇を産んだ地とされています。「浜湯山」の地名は、産湯の池。出産に当たり、7日7夜、安産の祈願を掛けた山「7夜山」は、後の名馬「池月」の誕生で「駟馳山とされた。応神天皇はこの地で育ったなど、圧倒的な古代遺跡を誇る福部を語ります。浜坂など、中ノ郷の人々の故郷でもあります。

青谷ものがたりーⅠ

芦崎湊(古代青谷港)の「芦」は、大国主命の別名葦原色志許男神(あしはらしこおのかみ)の頭文字です。弥生遺跡である上寺地遺跡の高度な文明や、阿古山古墳の帆船壁画、日置の地名、この小さな地域に延喜式に載る5社の神社が集中するなど、古代青谷と出雲王朝の関係の深さが分かります。

青谷ものがたりーⅡ(貝殻節)

ヤサホーエイヤー漁師(氏子)が沢山取れて、豊かに栄えますように。イヤサカサッサー神功皇后も益々、栄えますように。神功皇后などのお墓を造営した日置族を先祖に持つ青谷地区の「貝がら節」の物語です。

因幡の八上姫物語

大国主命と「安蔵長者の娘」八上姫のロマンは、安蔵谷の鉄などの鉱物資源を手に入れるためだったのか。古代神話に迫ります。

私の庭

我が家の庭には、砂丘水神が立つ双子オアシスの豊富な湧水が流れ込み、砂丘の風と野鳥が多様な植物の種子を運んできます。
彼らのおかげで、庭は四季を通じて天然の砂丘園芸場となります。