目次
・日本人への遺言(山下将軍)

日本人への遺言(山下将軍)

 三月二十二日巡拝団一行の自動車は雑木の生い繁った道路上に止った。ここが山下、本間両将軍の終焉の地である。一歩自動車から降りると外は蒸しかえる暑さである。墓守りのおばさんが線香、ローソク、山下将軍の写真などの入った笊をこ腋に抱えて我々を先導してスタープの繁った小道を五十メートル程下った所が山下将軍並にマニラ憲兵司令官だった大田大佐絞首刑場跡である。山下大将終焉の地と書かれた碑の前に写真が置かれ線香、 ローソクが供えられ一行は将軍の冥福を祈る。

山下将軍
山下将軍

 「命に依り元比島方面日本軍最高指揮官陸軍大将山下奉文の絞首刑を執行する。時、一九四六年二月二十三日午前三時、西南大平洋陸軍司令官陸軍中将スタイヤー」

 勝者が敗者を裁くと言う正に勝者の暴力であり、 狂人的な復讐であった。従って裁判は死刑を前提とした、一つの形式に過ぎなかった。将軍は昭和の殉難者と言っても寡言でないかも知れない。
 山下将軍は陸大卒業と同時に七年の長きをドイツに暮らし、陸軍省軍事調査部長、北支軍幕僚長、航空総監、あるいは軍事調査団長として遠く独伊戦線の視察をしたり、今次大東亜戦争には疾風五十五日全マレーを席巻し更に英国の牙城シンガポールを陷落させ、 ブキテマ高地フォードエ場で英軍司令官バーンバレ中将を「イエスかノーか」 で無条件降伏させ、満州第一方面軍司令官より昭和十九年十月壊減寸前の第十四方面軍司令官としてマニラに飛来停戦降伏迄の十ヶ月同戦闘指揮を執られたのである。 刑の執行に日本人として、只一人立ち会った森田教誨師の遺書「ロスパニオス刑場の流星群」より当時の状況を記す。

山下将軍の最期

 ジープは二分ほどして刑場の表に到着した。新しい高さ三メートルほどの板囲いの刑場は明るい照明で夜空にくつきりと浮かび上っていた。 すでに七、 八台の自動車がのり捨てられてあった。 ギィッと問扉が左右に開かれた。 私は護衛兵と彼の左右の腕をとって中に入って行った。 すると直ちに門扉が閉められた。 三十メートル平方の刑場であった。十数個の電燈が煌々と照り輝いていた。
 中央に絞首台が薄気味悪く私たちを待っていた。 私たちは赤い砂をザクザクと踏みしめながら前進した。トントントン階段を上って行った。音に聞く絞首台の十三階段の三途の川の渡し場である。 上りつめた所には黒い袋を持った刑執行官の少尉が待っていた。
 広さは四メートル四方で手すりがついていた。 向って左右の手すりの中央に二十五糎角、高さ三メートルほどの柱が立ち、 その二本の柱には同じ太さの梁が掛け渡され、中央には人待ち顔な太いマニラロープが吊ってあった。
 絞首台の左隅には丈高い周囲一メートルほどのマンゴーの木が生えて繁茂した枝葉が頭上をおおいかくしていた。山下さんは静かに台の中央、 ロープの下に立った。執行官はジャックナイフを右手に持った。そのジャックナイフに電光が反射して眩しかった。私は山下さんの前に立った。刻々と時は刻まれていく。「北はどちらですか」。山下さんが私に尋ねた。山下さんの向っている方の東寄りに北斗星が輝いていた。そして南十星も輝いていた。南国の空は祖国の空とはだいぶ趣きが違う。

「あなたの身体を少し右に向けてください」
 彼は巨体を少し右に向けた。「皇室の弥栄を祈り奉る」 小声でつぶやいた。職業軍人である彼はどんなに悟り切っても皇室との縁は切れないのである。今宵死の寸前に唱えたこの言葉が天皇に通じたのであろうか。「あな哀れ」とせめて一言、天皇の声が聞こえたら、恐らく彼は絞首に先立って悶絶したことだろう。 この十年間、幾百万の軍人がこの言葉と共に死んでいった。天皇は彼等にとっては超越神であった。しかし今の彼の言葉を聞いてだれも咎めるものはないであろう。激しい断末魔の苦悩が、生と死との矛盾が彼を苦しめている。これがまた人間の真実の相かも知れない。執行官は黒い袋をすっぽりと、彼の頭からかぶせた。 マニラロープが頚にかけられた。ああ永遠に彼の顔は私の前から消え去ったのだ。私の心は千々に乱れた。
 執行官は私を見上げて「いいか」といった。私は思わず「今しばらく待って」と声を張り上げた。ジャックナイフは張り綱にかかっている。発願文を読み終えてちらと執行官を見た。まだ彼は待っている。言葉というものがいかに不自由なものであるかということをこの時ほど強く感じたことはない。自分の心を表現する術がないのである。
 「閣下!」 思わず口を衝いて出た言葉と共に、私は彼の右手をしつかりと握りしめた。彼もまた手錠の下からカ強く握り返した。「心置きなくおいでくださいますよう」 彼はなおも握った手を離さない。汗ばんだ掌から彼の体温がほのかに伝ってくる。そして手と手は無限の言葉を取り交わしていた。

 「森田さん、このたびは不思議なご縁でご恩は忘れません」彼は鄭重に謝辞を述べた。
「ではさよう・・・」
突然ガクンと大きな音がした。瞬間、私の手から彼の手はすべり落ちた。その時、私は刑場執行官に抱き止められていた

 真下には大きな穴が覗いていた。彼の巨体は一本の綱で吊り下げられていた。彼のの両足は空を蹴っていた。急激に足下の蓋が開かれたのである。下に落ちた彼の頭から上からはどうしても拝む気にはなれなかった。私は夢遊病者のように階段を駆け下りた。絞首台の下は倉庫のようになっており、周囲には十数名の米兵が煙草を喫いながらきょとんと異様な光景を眺めていた。私は彼等をかきのけて言った。「死は厳粛粛なものです。煙草だけは止めて下さい」
 彼は黙ってくわえていた煙草を投げ捨てて靴で踏みにじった。私は部屋の中へ駆け込んだ。死刑執行官は執行命令書に何か書き込んでいた。軍医がジャケットのぼたんを外し、更に青いアンダーシャツを引っ張り抜いて乳の上までまくりあげて、聴診器を当てた。私は静かに阿弥陀経を誦し始めた。十二分ぐらいで完全にこと切れた。その間に右足の靴が外され、親指に荷札のようなものがつけられていた。二人の米兵は彼の屍体を外し、真新しい軍用毛布にくるんで担架に乗せ救急車に運んでいた。
 司令官は死刑執行書に綿密な記録をなし、私の氏名も記入した。その時、司令官の腕時計は午前三時二分を指していた。降るような星の下、ロスパニオスの刑場を後に、今は亡き「マレーの虎」を載せた救急車が走る。遠く行く手に流星が長く尾を引いた。

日本人への遺言

 刑執行三時間前、森田教誨師が将軍に、「最後に日本国民に対して何か残す言葉はありませんか」
将軍は切々肺腑を衝く懺悔と理解を訥々として語られたのであった。
 私の不注意とその天性が闇愚でありましたために、全軍の指揮統率を誤り、何物にも変えがたいご子息あるいは夢にも忘れ得ないご夫君を多数殺しましたことは、まことに申し訳のない次第であります。激しい苦悩のため身心転倒せる私には衷心よりお詫び申しあげる言葉を見出し得ないのであります。かつては皆さん方の最愛の将兵諸君の指揮官であった山下奉文は峻厳なる法の裁きを受けて、死刑台上に上らんとしているのであります。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンの誕生祝賀記念日に独房を出て刑の執行を受けるということは偶然の一致ではありましようが、まことに奇しき因縁と言わなけれなりません。

山下将軍


 謝罪の言葉を知らない私は、今や私の死によって私に背負わされた一切の罪を償う時がまいったのであります。もとより私は単なる私一個の死によってすべての罪悪が清算されるであろうというような安易な気持をもっているものではありません。全人類の歴史の上に拭うべからざる数々の汚点を残した私は、私の生命が断たれるという機械的な死によって相殺されるとは思わないのであります。
 絶えず死と直面していた私にとりましては、死ということは極めて造作のないことであります。私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃すべきでありました。事實、私はキアンガンであるいはバギオでかつての敗将パーシバル将軍の列席の下に降伏調印をした時に自刃しようと決意しました。しかし、そのたびに私の利己主義を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らないかつての部下たちでありました。私が死を否定することによってキアンガンを中心として玉砕を決意していた部下たちを無益な死から解放し祖国に帰すことができたのであります。

 私は武士が死すべき時に死所を得ないで恥を忍んで生きなければならないということがどんなに苦しいものであるかということをしみじみと体験いたしました。このことにより類推して、生きて日本を再建しなければならない皆様方が戦犯で処刑されるものよりどれだけ苦しいかということが、私にはよくわかるのであります。もし私が戦犯でなかったなら皆さんからたとえいかなる辱めを受けましょうとも自然の死が訪れてまいりますまで、生きて贖罪する苦難の道を歩んだでありましよう。
「兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず」と孫子もいったように兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。この戦争を防止するために私はあらゆる努力を払いました。しかし悲しいかな私の微カよくこれを阻止することができなかったことは、まことに慚愧に耐えない次第であります。マレーの侵略、シンガポールの攻略、国民の血を涌かしただけに恐らく皆さんは私を生粋の侵略主義者、 軍国主義の最たるものであると目しておられるでしょう、それは当然であります。私も一身を軍将に捧げた職業軍人であります。今更何をかこれに加えましようか。
 しかし私も軍人であると共に一面日本国民としての意識もまた相当強く動いておりました。亡国と死者とは永久に再生はないのであります。兵事は古より明君賢将の深く慎み警むるところでありました。 一部少数者がひとり事を断じて国民大衆を多く殺傷し残れるものを今日の如く塗炭の苦しみに陥れたことは等しく軍部の専断であり、国民諸君の怨嗟ことごとく我らに集中すると思うとき、私は正に断腸の思いがするのであります。ポッタム宣言により、日本が賢明ならざるもくろみによって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、 民意によって選ばれた指導者により、 平和国家としての再建が急がれるでしょうが、前途いよいよ多事多難なることが想像されます。建設への道に安易なる道はありません。

 軍部よりの圧力によったものとはいえ、あらゆる困苦と欠乏に堪えたあの戦争十ケ年の体験は必すや諸君に何物かを与えるに違いないと思います。新日本建設には私たちのような過去の遺物軍人あるいは阿諛追随せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。恐らく占領軍の政策をして何らかの方法が取られるのでありましようが、まさに死に就かんとする私は日本の前途を思うのあまり、 一言申し添えたいと思うのであります。踏まれても叩かれても強い繁殖力をもった雑草は春が来れば芽を吹きます。国ことごとく破れて山河のみとなった日本にも、旺盛なる発展の意志をもった日本の皆様は再び文化の香り高い日本を、あの一八六三年T独戦争によって豊沃なシュレスウイヒ、 ホルスタイン両州を奪われたデンマークが再び武を用うることを断念し、不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作りあげたようにー 建設されるであろうことを信じて疑いません。私ども亡国の徒は、衷心から懺悔と共に異国の地下から、日本の復興を祈念いたします。
 新たに軍国主義者どもを追放し、自ら主体的立場に代られた日本国民諸君、荒らされた戦禍のなかから雄々しく立ち上って頂きたい。 それがまた私の念願であります。私は朴訥なる軍人であります。今や死の関頭に立って万感交々至り、謝罪と共に所懐の一端を、言語の形式をもって申し述べたいのでありますが、武将の常として従来多く語らず寡言実行の習癖と、加うるに語彙また豊富でありませんためこれを表現することができないのを残念に思います。私の刑の執行は刻々に迫ってまいりました。もうあと一時間と四十分しかありません。 この一時間と四十分という時間が、私にとっていかに貴重なものであるか、死刑囚以外 いくこの気持ちの解る人はないでしょう。私は森田教誨師と語ることによって皆さんに伝えて頂くことにします。
いつか伝わるであろう時を思いー 私は死に臨んで、今や蘇生せんとする日本の皆様に言いたいことが四つあります。聞いて頂きたい。
 その第一は、義務の履行ということであります。 この言葉は古代から幾千の賢哲により言い古された言葉であります。そして又、 このこと程実践に困難を伴うことはないのであります。また、 このことなくしては民主主義的共同社会は成り立たないのであります。他から制約され強制されるところのものでなく、自己立法的に内心より湧き出ずるところのものでなくてはなりません。束縛の鉄鎖から解放されるであろう皆さんが、 この徳目を行使される時に思いを致すとき、いささか危懼の念が起ってくるのであります。
 私は何回かこの言葉を部下将兵に語ったことでしょうか、峻厳なる上下服従の関係にあり抵抗于犯を許されなかった軍隊においてさえ絶えずこのことを言わざるを得なかったほどわが軍隊におきましては道義は著しく頽癈し、かづかずの勅諭、戦陣訓は空文と化していたのであります。甚だ遺憾なことでありますが、今度の戦争におきまして、私の麾下部隊の将兵がことごとく自己の果すべき義務を完全に遂行したことは言い難いのであります。

 他律的な義務においてさえこの通りでありますから一切の羈絆を脱した国民諸君のまさに当すべき自律的義務の遂行にあたってはいささか難色があるのではないかと懸念されるのであります。旧軍人と同じ教育を受けた国民諸君の一部にあっては、突如開顕された大いなる自由に眩惑されたあまり、他人との関連ある人間としての義務の履行に怠惰でありはしないかということを恐れるのであります。自由なる社会におきましては、自らの意思により社会人として、いな、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。 この倫理性の欠除ということが信を世界に失い醜を万世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本原因であると思うのであります。 この人類共通の道徳的判断力を養成し、自己の責任において義務を履行するという国民になって頂きたいのであります。諸君は今後他に依存することなく、自らの道を切り開いていかなければならない運命を背負わされているのであります。 ここにおいてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。

 第二に科学教育の振興に重点をおいて頂きたいのであります。現代に於ける日本科学の水準は、 ごく一部のものを除いては世界の水準から相去ること極めて遠いものがあるということは何人も否定することのできない厳然たる事実であります。 一度海外に出た人なら、第一に気のつくことは、日本人全体の非科学的生活ということであります。合理性をもたない排他的な日本精神で真理を探究しようと企てることはあたかも木によって魚を求めんとするが如きものであります。
 われわれは資材と科学の欠陥を補うために汲々としたのであります。われわれは優秀なる米軍を喰いとめるために、百万金にても購い得ない国民の肉体を肉弾としてぶつつけることによって勝利を得ようとしたのであります。必殺肉弾、攻撃体当り等戦慄すべきあらゆる方法が生まれました。わずかに飛行機の機動性を得んがためには、防衛装置をほとんど無視して飛行士を生命の危険に曝さざるを得なかったほど戦争に必要なものが欠けていたのであります。われわれは資材と科学の貧困を人間の肉体をもって補わんとする前古未曾有の過失を犯したのであります。この一事をもってしても、われわれ職業軍人はその罪、万死に価するものがあるのであります。
 私の今の心境と降伏当時との心境には大いなる変化があるのでありますが、キアンガンからパキオに向う途中、米軍トラックの上で「ヤング」の記者ロバート・マクシラン君が日本敗戦の根本的理由は何かと質問された時、重要かつ根本的な理由を述べんとするに先立って、今まで骨身にこたえた憤懣と熾烈な要求が終戦と共に他の要求に置き換えられ、ようやく潜在意識の中に押し込められていたものが突如意識の中に浮かび上り、思わず知らず飛び出した言葉は「科学,でありました。
敗因はこれのみではありませんが、重大な原因の中の一つであったことは紛れもない事実であります。

もし、将来不吉なことでありますが、もしどこかで戦争が起こったと仮定するならば、恐らく日本の取った愚かしい戦争手段は痴人の夢の昔語りと化し、短時間内に戦争は終結を見るべき科学兵器が使用されるであろうことが想像されるのであります。戦争の惨禍をしみじみと骨髄に徹して味わった全日本人は、いな全世界の人類はこの恐るべき戦争の回避に心根を打ち込むに違いありません。このことが人間に課せられた重大な義務であります。あの広島、長崎に投下された原子爆弾は恐怖に満ちたものであり、それは長い人間の虐殺の歴史において、かってかくも多数の人間が生命を大規模に、しかも一瞬に奪われたことはなかったのであります。獄中にあって、研究中の余地はありませんでしたが、恐らくこの原子兵器を防御しうる兵器はこの物質界においては発見されないであろうと思うのであります。過去の於てはいかなる攻撃手段に対してもそれに対する防御は可能であるといわれておりました。実際このことはいまだに真実であります。過去の戦争を全く時代遅れの戦争に化し去ったこの恐るべき原子爆弾を防御し得る唯一つの方法がもしありとするならば、世界の人類をして原子爆弾を落してやろうというような意志を起させないような国家を創造する以外に手はないのであります。
 敗残の将の胸をそくそくと打つ悲しい思い出は、われわれに優れた科学教養と科学兵器が十分にあったならばらば、たとえ敗れたりとはいえ、かくも多数の将兵を殺さないで、平和の光輝く祖国再建の礎石として送還することができたであろうというこあります。私がこの期に臨んでし上げる科学とは人類を破壊に導く科学ではなく、未利用資源の開発あるいは生活を豊富にするとか、平和的な意味において、人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての「科学」でしります。


第三に申し上げたいことは、女子の教育であります。伝えるところによれば日本女性は従来の封建的国家から解放され、参政権等大いなる特典が与えられたそうでありますが、現代日本婦人は西欧諸国の婦人に較べるといささか遜色があるように思うのですが、これは私の長い間の外国生活における交際見聞に基づく経験的事実であります。日本婦人の自由は自ら闘い取ったものではなく、占領軍の厚意ある贈与でしかないところに危惧の念が生ずるのであります。プレゼントというものは往々にして送り主の意を尊重するあまり直ちに実用化されないで観賞化され易いのであります。「従順」と「貞節」とは日本婦人の最高道徳でありました。
 日本軍人の服従的忠節と何ら異なるところのものではないのであります。この去勢された奴隷的な徳目を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び、忠勇なる軍人と賛美してきたのであります。 そこには何ら行動の自由、思想の自由、あるいは自己自身を内観、反省する自律性を有した道徳ではなかったのであります。皆さんは速やかに旧殼を脱し、 より高い教育を身につけ、従来の婦徳の一部を内に含んで、しかも自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂きたいのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新たに獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由はだれからも犯され奪われるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消減するのであります。皆さんは自由なる婦人として世界の婦人と手をつないで婦人独自の能力を発揮してください。もしそうでないならば、与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。

 最後にもう一つご婦人に申し上げたいことは、皆さんは既に母であり、また母となるべき方々であります。母としての責任の中に次代の「人間教育」という重大な本務の存することを切実に認識して頂きたいのであります。私は常に現代教育が学校から始まっていたという事実に対して大きな不満を覚えていたのであります。幼時に於ける教育の最も適当な場は家庭であり、最も適当なる教師は母であります。真の意味の教育は皆さんによってのみ適当な素地が培われるのであります。もし皆さんがつまらない女であるとの誹りを望まれないならば、皆さんの全精力を傾けて、子女の教育にあたって頂きたいのであります。しかも私のいう教育は幼稚園あるいは小学校入学の時をもって始まるのではありません。かわいい赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時をもって始められなければならないのであります。愛児をしっかと両手で抱き締め乳房を哺ませたとき、何者も味わうことのできない感情は、母親のみの味わいえる特権であります。愛児の生命の泉としての母親は物心両面におけるすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし、また動物でも与えられましょうし、 また他の代用品ででも代えられるでしょうけれども、 しかし母の愛情に代わるべきものは、この世界には存在しないのであります。

 母は子供の生命を保持することを考えるだけでは十分ではないのであります。彼が大人となったとき自己の生命を保持し、あらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し、人類に寄与する強い意志をもった人間に育成しなければならないのであります。
 皆さんが子供に乳房を哺ませたときの幸福の恍惚感を単なる動物的感情に止めることなく、更に知的な高貴な感情にまで高めなければなりません。母親の肉体を駆け回る愛情は乳房からこんこんと乳児の体に移入されるでありましょう。将来の教育の根本的なものは母親の乳房のなかに未分化の状態として溶解存在しなければなりません。幼児に対する細心の注意はことごとく教育の本源でなければなりません。撓まざる母の技巧は、より高次な教育的技術にまで進展するでしよう。 こんな言葉が適否かどうか教育専門家でない私にはわかりませんが、私はこれを「乳房教育」とでもいいたいのであります。どうかこの解りきった単純にして平凡な言葉を皆さんの心の中に止めてくださいますように、 これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。


こうして全国民に対する遺言は、刑死二十分前に終った。

野山分け 集むる兵士十余万 還りてなれよ国の柱に
 将軍は朗々と吟じ絞首台への階段を一歩一歩登られたのであった。戦後四十三年将軍の期待通り、平和に徹しながら経済・文化・科学に於て一歩一歩世界をリードしている日本、 そしてこれからは日本だけの平和、繁栄ではなく全世界の人々の平和と繁栄につながる祖国日本であることを念願しながら、戦没英霊の冥福を祈りつつ筆を擱く。

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