バレテ峠戦跡碑の碑文
ここバレテを巡る山野は一九四五年一月から半年に亘り「鉄・撃・泉」の日本軍と、米・比軍が壮絶な死闘を続け、阿修羅の鮮血で染められた天地慟哭の戦跡である。この決戦は北部ルソンの命運をかけ、祖国のため、一万七千有余の両軍の戦士が砲火の中に散った。
ここにその遺烈を偲び鎮魂の祈りを捧げ、人類永遠の平和を願ってこの碑を建てる。
一九八四年三月 バレテ弔魂慰霊会


バレテ会結成の経緯
「大東亜戦争も大詰の、フィリピン方面のおける日・米決戦の舞台となったバレテ峠周辺の攻防戦では、1万7千有余の両軍将兵が悲命に仆れました。まことに痛ましい限りであります。彼の熱帯の密林に、荒野に、はたまた激浪の地に、祖国の前途を憂いつつ散華した戦友を眼の当たりにした人々が、命ありて帰還したのち、戦友を弔い、数多くの遺家族を慰めることが唯一の功徳であると信じて、生還者相集い、昭和43年3月、バレテ会を結成したのであります。
そして、同年9月8日、鳥取市上町県立護国神社において、遺族400名、生還者110名が参集して第1回の慰霊祭を挙行しました。爾来、本会は政府派遣遺骨収集団に協力して、昭和48年と昭和51年の2回にわたり、バレテ峠周辺での遺骨収集に参加し、1,742体の遺骨を焼骨の後、その骨灰をバレテ峠頂上台地に埋葬したのであります。
そして、昭和52年、日比親善慰霊会の手によって十字架の追悼碑が建立されたのであります。これより先、昭和49年、バレテ会では、鳥取県護国神社の砂丘地移転に伴い、懸案の慰霊碑と戦跡碑を境内入口、景勝の地に建立し、序幕式及び第2回慰霊祭を盛大に挙行したのであります。
一方、毎年有志を募り、現地バレテ峠慰霊巡拝団を派遣していたのですが、昭和56年の報告によれば、バレテ峠追悼の台地が風水害に侵されて大きく崩壊し、放置すれば埋葬した骨灰が散乱する惧れがあるとのことで、協議の末、第14回総会においてこれを改修することを決議したのであります。以来2年有余、関係者方面に趣意書を送り浄財を募りましたところ、思いがけない他部隊から多額の御援助を頂き、崩壊した台地の修復、内地産藍御影石による浮彫十字架の追悼碑と、黒御影深彫の戦跡碑が新しく建立されるに至った次第であります。」
(「バレテ峠追悼碑建立記念誌」より抜粋)


追悼のことば
「本日ここにヌエバビスカヤ州知事ナタリア・ドムラオ様をお迎えし、バレテ峠追悼碑の除幕式が挙行されるにあたって謹んで追悼の言葉を申し上げます。過ぐる大戦におきましては、この平和で美しいフィリピン諸島を舞台に壮絶な死闘が繰り広げられ、祖国日本の危急存亡の秋に将兵をはじめ婦女子・幼児を含む一般邦人にいたる52万の邦人が身命を捧げられました。
今、頭をたれて散華された烈士の胸中に思いをはせますとき、新たな悲しみと痛恨の情が切々と胸に迫ってまいります。また、最愛の肉親を失われた痛手にもひるまず、筆舌に尽くし難い戦中戦後の艱難辛苦を乗り越えられてここまでこられたご遺族の皆さまに対しましては深甚の敬意を表明する次第であります。然し、我々日本人として忘れてならないことは、ここにお集まりの地元の皆さまの多くが大戦中に苦い体験をお持ちだということであります。「私達は、日本人のやったことを許します。しかし、忘れ去ることはできません」と多くのフィリピンの方がおっしゃいます。歴史的に見ましても、たとえ時移り、友好国の間柄になりましょうとも、旧敵国の将兵を記念する碑の建立を許すということは、ほとんど例をみないようであります。
我々は、このフィリピン国民の温かい気持に沿うように日比両国の親善に邁進する所存であります。それこそが、国を思い散華された英霊のまことの供養となると存じます。新日本の礎となられ当地で国に殉じられました諸士の御霊に、とこしえの平和と安らぎが与えられることを皆さまとともに心から祈念いたしまして追悼の言葉といたします。」 (同誌より抜粋)
御礼のことば
「あの時から約40年、一日として故人のことを忘れたことはありません。言語を絶する状況のもと、遂に現地の土となった故人のことを想いますと、目にふれる一木一草にも胸を打たれ感慨無量でございます。ただ亡くなられた方々のご冥福を祈るのみであります。
はるばる来て思いを達することを得ました。本日のここから見ますと、静かな平和の山河の姿が見られます。故人も心の底に求めていたものは、このような平和であったろうと思います。再びあのようなことがあってはなりません。本日、このような立派な碑を再建して頂きましたのも、戦没者の冥福を祈るとともに、平和を願ってのことと思います。永遠の平和を祈って、日比両国の友好を願って、関係者の皆さんにあらためて御礼を申し上げます。」 (同誌より抜粋)
会の発足と命名
元歩兵第63連隊(鉄第5447部隊)比島生還者有志が、昭和42年7月、鳥取市に集まり20余年ぶりの戦友との再会を喜び合いながら、戦友会結成について話し合い、会の名を、凄惨苛烈な、あのバレテ峠周辺の死闘を想起し、バレテ会とすることに決定した。
年譜
昭和43年ーバレテ会発足(生還者のみ)
発起人会、設立総会。鳥取県護国神社(鳥取市上町樗谿公園)で9月に盛大の第1回慰霊祭挙行。ご遺族400名、生還者110名)。バレテ会報を創刊


昭和44年
鳥取県護国神社慰霊祭を4月第一日曜日に開催、バレテ会報2号・3号、比島戦没者慰霊碑建立準備委員会を結成
昭和48年
11月、厚生省派遣遺骨収集団に参加。バレテ方面で3,730体を収骨しサンタフェで焼骨、骨灰をバレテ峠に埋葬。一部を日本に持ち帰り千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨、分骨をバレテ会が頂く。比島戦没者慰霊碑の敷地、碑文、傍碑文、工事施工者など協議。バレテ会報6号。



昭和49年ー比島戦没者慰霊碑建立・除幕式
鳥取市浜坂に鳥取県護国神社移転。「比島戦没者慰霊碑」建立(2,577柱)。生還者450名参列で除幕式。平林知事献花。バレテ峠の戦いの遺品を護国神社に奉納。バレテ会報7号




昭和50年ー遺族を会員にする会則改正
遺族もバレテ会の会員になれるよう会則を改正。第3回慰霊祭(138名)
昭和51年
第4回慰霊祭(100名)、厚生省派遣遺骨収集団参加。遺族・生還者による比島慰霊巡拝実施を決定、バレテ会報8号、会員数90名。
昭和52年ー比島慰霊巡拝行を開始・バレテ峠十字架碑建立
(33回忌)バレテ峠に十字架追悼碑建立(日比親善慰霊会)、第5回慰霊祭(110名)。第1回(18名)・第2回(18名)比島慰霊巡拝。 バレテ会報第9号・10号。会員数157名。


昭和53年ー日・米・比合作のサラクサク峠碑建立
第6回慰霊祭(125名)、第3回比島慰霊巡拝(12名)、サラクサク峠のマリコ村に日、米、比合作の慰霊碑が建立され、5月20日除幕式。会員数155名。
昭和55年
鳥取県護国神社慰霊祭を4月第2日曜日に変更。第8回慰霊祭(130名)、第4回比島慰霊巡拝(15名)、バレテ会報13号、会員178名
昭和56年
風雨による追悼台崩壊により、新バレテ峠慰霊碑建立の協議開始。第9回慰霊祭(140名)、バレテ会報14号、会員170名


昭和57年
バレテ峠の慰霊碑建立を決定。建立計画、募金などに着手。第10回慰霊祭(150名)、第5回比島慰霊巡拝(12名)、バレテ会報15号、会員200名
昭和58年
仕様(デザイン・碑文・台地補修など)や業者を決定。現地サンタフェ町との協議。追悼碑、戦跡碑の契約発注。第11回慰霊祭(110名)。バレテ会報16号、会員200名。
五十年前日米両国の死斗で大変迷惑をかけたバレテ峠周辺の住民達の意見を聞き、昭和五十九年追悼碑建立以来、心ばかりの日比親善として小学校などへの学用品贈呈を続けている。
昭和59年ー(現)バレテ峠碑建立
3月、バレテ峠に「戦没追悼碑」・「戦跡碑」建立除幕式。バレテ峠地元のサンタフェ町における日比交歓会。第12回慰霊祭(120名)、第6回比島慰霊巡拝(60名)、バレテ会報17号、会員数281名。






昭和60年
「バレテ峠追悼碑建立記念誌」発行。第13回慰霊祭(120名)、第7回比島慰霊巡拝(10名)。バレテ会報18号、会員393名。


平成元年
永代祭祀料20万円と慰霊碑敷地を鳥取県護国神社に奉納。第17回慰霊祭、第11回比島慰霊巡拝、バレテ会報22号、会員383名。
平成2年
7月、ルソン島中部カバナツアンを中心とした大地震発生。バレテ峠碑台地が一部崩壊、復旧を協議。8月、比島戦没者慰霊碑台座下のご遺骨をチタン製納骨箱へ納める納骨祭を挙行。第18回慰霊祭。第12回比島巡拝。バレテ会報23号。会員数405。
平成3年
バレテ峠の戦没者追悼碑復旧工事完了。第19回慰霊祭。第13回比島巡拝、バレテ会報24号。会員372名。


平成6年ー第50回忌
第22回慰霊祭、第16回島巡拝(50回忌供養)、バレテ会報27号。会員数376。
戦後50年にあたり、比島慰霊巡拝は55名、護国神社における慰霊祭は150名を数えた。サンタフェ市教育長から恒例となった学用品贈呈への礼状届く。





平成7年
鳥取県護国神社の慰霊祭を5月に変更。第23回の慰霊祭、第17回比島巡拝。バレテ会報28号。
比島寺が廃寺を決定(比島寺事務局より、戦後50年を経て、会員の高齢化や戦友会の解散など会員数が激減、関係者協議の上、廃寺を決定の連絡あり)。会員数388。
平成8年ー比島寺廃寺へ
第24回慰霊祭、第18回比島巡拝、バレテ会報29号。フィリピンバクサンハン比島廃寺より持ち帰った大理石の部隊碑を鳥取県護国神社慰霊碑下に納める。本年12月末、昭和53年建立の比島時19年間の幕を閉じる。この間、1,228の碑が建立されている。会員数386名。



平成11年
サンタフェ市より永年の学用品贈呈へ感謝状受く。
第27回慰霊祭、第22回比島巡拝、バレテ会報32号、会員数377名
平成12年
当会活動へ財団法人鳥取県遺族会より感謝状受く。
第28回慰霊祭、第23回比島巡拝、バレテ会報33号、会員数326名


平成15年
鳥取県護国神社鎮座30周年修復事業奉賛金、バレテ会として100万円。会員280名。
第31回慰霊祭、第25回比島巡拝、バレテ会報36号。
平成16年
役員会にて本会の解散を決定(平成17年の慰霊祭の執行後の総会で決議)
第32回慰霊祭、第26回比島慰霊巡拝、バレテ会報37号、会員数280名。
平成17年ー遺族主体のバレテ会へ
バレテ会の発展的継続を総会にて決議(遺族が主体となって引継ぎ)
第33回慰霊祭、バレテ会報38号、会員数124名(退会159名)。
平成20年
慰霊祭を6月に変更。第36回慰霊祭、第30回比島巡拝。バレテ会報41号。会員数110名。
平成23年
サンタフェ町へ植林事業・平和公園整備事業へ寄付金寄贈、第39回慰霊祭、第33回比島慰霊巡拝、バレテ会報44号。会員数117名。

平成27年
鳥取県護国神社に英霊遺影奉納。第43回慰霊祭、第37回比島巡拝。バレテ会報48号。会員数88名。戦後70年の特別企画として、地方紙がバレテ会を取材し、坂口氏の戦争体験が掲載された。


平成28年
第44回慰霊祭、第38回比島慰霊巡拝、バレテ会報49号。慰霊祭の様子をNHKがローカルニュースで放映。会員数96名。
令和3年ーバレテ会存続の可否を問う
第49回慰霊祭。バレテ会報54号。バレテ会存続の可否を問うアンケートを実施することを決定。
コロナ禍のため、令和3~5年は比島戦跡慰霊巡拝を中止。会員数61名。
令和5年ーバレテ会解散を決定
第51回慰霊祭、第43回比島慰霊巡拝、バレテ会報56号。戦後80年を機に、バレテ会の解散を決定。会員数52名。
令和6年
第52回慰霊祭。会報(電子版)を鳥取・島根県立図書館へ寄贈、第43回比島慰霊巡拝、バレテ会報57号。
NHK取材と放映「消えゆく遺族会・比島戦没者慰霊碑」
令和7年
3月、バレテ会としての最後の第44回フィリピン慰霊巡拝(11名)。
NHKマニラ支局の取材と放映(国内・国際)。6月、最後の第53回慰霊祭を挙行、10月、最後のバレテ会報58号発刊(予定)


令和7年3月放映


