本ページの目次です。
 下線部をクリックすると、直接ジャンプできます。

砂丘の自然現象
 スリバチ形状の砂簾による維持の仕組み
 風紋のいろいろ
   海風風紋と陸風風紋  砂鉄風紋  砂柱  砂層  高師小僧
失われいく砂丘
 砂丘の箱庭化
   砂防林の成長で面積が1/4に
   現在の砂丘は雑草が育ちやすくなった
   砂丘植物は絶滅の危機
 鳥取砂丘への供給がなくなった
   千代川の治水と砂を奪う海浜流
   砂丘の起伏は失われていく
   内陸スリバチが埋まっていく(合せガ谷)
 人工的に起伏を残す
 

砂丘の自然現象

 砂丘では、砂表の温度と風によって以下のような様々な現象が見られます。
・スリバチの形状と砂簾による形状維持 
・風紋のいろいろ 
  陸風風紋 海風風紋 砂鉄風紋堆積性砂柱 侵食 堆積性砂柱
・砂層
・高師小僧

スリバチ形状の砂簾による維持の仕組み

砂丘列のスリバチと、内陸スリバチとは、形状の維持の仕組みが少し異なりますが、基本的には同じです。

スリバチの地表熱と風の流れ
スリバチの地表熱と風の流れ

 上の絵は一般的なスリバチ形状が2000年以上、維持されてきた原理を示しています。
 砂は比熱が大きく、特にスリバチの斜面砂表は夏季太陽に照らされると、70度ほど上がり、上昇気流を発生させます。海の温度は24~27cでほぼ一定であることから、砂丘全体の気温が上がり、25度以上になると海風(海から陸に吹いてくる)が発生します。

 砂丘列を風が吹き上がってくると、流体の定理・法則(カルマンの法則)により、スリバチ南斜面は、真空状態と斜面に起きる上昇気流で、砂を底から吹き上げる霧吹き状態になります(霧吹きの原理)。吹き上がってくる微粒(メリケン粉程度)は、風によって吹き飛びます。飛ばなかった砂は、吹き上げ風力と砂の重さにより斜面に残ります。この砂は斜角度と自重のバランスが崩れた時に滑り落ちます。これを、砂簾(されん)と言い、この繰り返しでスリバチの起伏形状が維持出来て、今日まで続いているのです。

 ただし、これには継続的な砂の供給が必要です。しかし、砂防林の拡大と、賀露の突堤の状況が変り、砂の供給と気象条件が大きく変化しスリバチは埋まりつつあります。

昭和28年の合せガ谷スリバチ
昭和28年の合せガ谷スリバチ
砂簾
砂簾
砂簾
砂簾
砂簾
砂簾

風紋のいろいろ

海風風紋と陸風風紋

 海風風紋と陸風風紋の違いは、砂丘の温度が25度を超えると海風(海から陸に向かって吹く)が生じ、これ以下の場合は陸風(陸から海に向かって吹く)が起きます。
 その理由は、海水の25度くらいを基準にして、暖かい方向へ空気が流れるからです。海と陸との温度差が大きくなればなる程、風力も大きくなります。この風力が4.5mから7mの間で風紋が出来ます。これは、風が砂の上を回転しながら進む為、砂も転がりながら移動することによるのです。風力がこれ以上大きいと、砂は表面を離れて飛び去ってしまいます。私の小学校6年生夏休み自由研究「風紋は2種類ある」 における測定では、

  昼13時    砂の最高温度72度  平均66.8度  最高湿度42.7度 平均38.3度
  夜(朝4時) 、砂の最低温度16.8度 平均18.2度  最高湿度21.9度

 夜のこの温度は、父との徹夜の夜釣りでは、毛布2枚でも寒いくらいでした。このように、気温の高い方の空気の上昇によって、日中は海から陸(砂丘)へ5~7mの風が吹き、夜は陸から海に3~5mの風が吹くのです。

海風風紋
海風風紋
陸風風紋
陸風風紋

 最初の風紋が海風風紋です。右南からの日を受けて、谷と高いところが輝いています。次は夜間に出来た陸風風紋です。少し太陽が昇ってくると、風紋の谷の部分が影となり黒くなります。

風紋原理
風紋原理
風紋原理
風紋原理

砂鉄風紋

 これは砂鉄風紋と言います。砂鉄が多く含む砂の所では、写真のように風紋が海風、陸風で、山の中央に砂鉄が集まり、風紋が丸く見えます。理由は砂鉄が砂に比べて密度が高くて重いからです。

砂鉄風紋
砂鉄風紋
砂鉄風紋
砂鉄風紋

砂柱

 ある物体の周りを削り取って出来る侵食性砂柱(左の写真)と、ある物体に、近くの粘土性の高い砂と粘土が飛散し付着して出来る堆積性砂柱(右の写真)があります。

砂柱
砂柱
砂柱
砂柱

砂層

 砂丘には吹き溜まりになる所が出来ます。大きさは色々ありますが、風紋の出来る風力では、砂は飛砂となって吹き溜まります。また、微細な粘土成分に近い物も微風でも飛んで来て溜まります。この時間の間隔や量によって、吹き溜まりの大きさ、深さの異なった所が出来ます。この吹き溜まりにおいて、粘土分の層は水を含むと硬くなって強いのですが、砂の層は柔らかく脆くて吹き飛ぶ為、粘土層と砂の層が凹凸で現れます。最初の写真は層の間隔が狭く、次の写真は、大きく抉られている層が現れています。

砂層
砂層
砂層
砂層

高師小僧

 名前の由来は、愛知県豊橋市の陸軍演習基地の高師原に由来し、ここで雨後、管状、木の枝状の団魂が洗い出されて直立するので、小僧に見立てられ、これが学術用語になりました。鳥取砂丘では、7万年前の大山噴火による火山灰土の露出したところと、砂地との境付近において、砂丘植物の根が火山灰土に入り込むと、常に湿気を持つ火山灰土の中の鉄分が酸化凝縮し、水分を通さなくなって根が壊死し、空洞となって写真のようなものが出来ます。

高師小僧
高師小僧
高師小僧
高師小僧

 発見場所は双子スリバチ付近(下の写真)、高師小僧が出来つつある所(次の写真)

発見場所に双子スリバチ付近
発見場所に双子スリバチ付近
高師小僧が出来つつある所
高師小僧が出来つつある所

失われいく砂丘

 鳥取砂丘が天然記念物として国立公園に指定されているのは、砂山の起伏が非常に大きく、且つ内陸深く砂丘が広がっている事です。今、起伏が無くなりつつあります。

砂丘の箱庭化

砂防林の成長で面積が1/4に

 砂丘の箱庭化の理由の一つは、砂丘地の面積が防砂林、宅地、畑地等によりかつての1/4以下に減少し、さらに、今でも砂防林の成長が続いていることです。
 上図は1952年の航空写真です。ここを浜坂、福部砂丘と言っていましたが、現在は下図の如く白色枠内の部分しか残されていません。西は住宅地とそれを守る砂防林、東は日本一のラッキョウ生産地でどうすることも出来ません。最近は防風林の面積が多く、且つ樹木も大きく体積と面積比で考えると、砂丘のすべてが緑になったほどになり、砂丘、海それぞれの昼と夜の温度差が縮小することで、海風、陸風がほとんど起きなくなりました。つまり、スリバチの形成と維持、風紋の形成などができなくなるわけです。

1952年の砂丘
1952年の砂丘
近年の砂丘(白線内)
近年の砂丘(白線内)

現在の砂丘は雑草が育ちやすくなった

 また、砂防林の面積と成長によって、砂丘の気象条件の気温、風力が鳥取市内とほとんど同じくなりました。それどころか、砂防林によって湿度は砂丘の方が高く、日当たりも良いために植物の生育条件は砂丘地の方が良くなっているのです。従って、今後、雑草の繁茂、草原化から免れることはできません。気象データ(1952年から1975年まで)を見ても砂丘と鳥取市内の気象条件が似通ってきたのが判ります。(乾研 神近先生のデータ)

砂丘研究所と市内の相対湿度比較
砂丘研究所と市内の相対湿度比較
同 気温比較表
同 気温比較表
同 風速比較表
同 風速比較表

砂丘植物は絶滅の危機

従来、昼夜の風による往復サンドブラスト(砂吹き)による植物へのダメージと、乾燥、熱砂に耐えうる植物のみが、砂丘植物とされてきましたが、昨今は、防風林による影響で、平地のどこにもある植物が繁茂し、それらの植物の日陰となって、砂丘植物は絶滅に瀕しています。

鳥取砂丘への供給がなくなった

千代川の治水と砂を奪う海浜流

 治水のため千代川には、支流も含め100ヶ所強の砂防堰が在り、中国山地からの砂の供給は殆どなくなりました。
 また、河口の鳥取港の突堤が沖に延び、河口の形状が大きく変化し、海浜流が砂丘周辺の砂をえぐり、千代川河口や、ずっと東の岩戸方面へ運ぶようになっています。その結果、砂丘の海岸は、ここ数十年で30~40Mも後退する一方で、賀露の港付近や岩戸漁港防波堤などは漂砂で困っています。大雨の時、海の色が茶色に変わった一筋の帯が沖を流れ、砂泥が東に移動している状況が判ります。其の帯は駟馳山の沖にまで達しています。

工事前の千代川河口
工事前の千代川河口
工事後の千代川河口
工事後の千代川河口
沖を砂泥が東へ流れていく
沖を砂泥が東へ流れていく
砂泥は岩戸方面へ
砂泥は岩戸方面へ

砂丘の起伏は失われていく

 以上、外部からの砂の供給が無く、むしろ砂が減少していく「箱庭」の鳥取砂丘は、今後も益々草原化していくことでしょう。そして、海風や陸風の衰退によって、スリバチや風紋などの起伏の形成メカニズムが崩れ、「箱庭」内の砂の高から低への単純移動で砂丘は起伏を失っていくでしょう。砂丘の起伏を代表するスリバチも埋まっていくことでしょう。

内陸スリバチが埋まっていく(合せガ谷)

 下の写真で、「箱庭」内の砂の移動でスリバチが埋まっていく様子が分かります。

2000年の合せガ谷スリバチ
2000年の合せガ谷スリバチ
2005年の合せガ谷スリバチ
2005年の合せガ谷スリバチ

 斜面と底を見てみましょう。

2000年の合せガ谷スリバチ斜面
2000年の合せガ谷スリバチ斜面
2005年の合せガ谷スリバチ斜面
2005年の合せガ谷スリバチ斜面

 右の5年後の状況は、スリバチの底が埋まり、斜面に草が生えているのが分かります。(除草後で、底に草を詰めたポリ袋がいっぱい置いてある)。これは、スリバチ背後の砂防林によってスリバチの地表温が上がらず風力が激減し、スリバチからの砂の吹き上げが無くなっているからです。スリバチ斜面の草は、益々温度低下と風力の減少を加速させます。このように、スリバチは、自然現象が崩れて消滅しつつあります。
 昭和22年頃には、遠足の目的地として、市内の小学校の多くがこの場所を選定していました。ここには当時、直径4~50cmぐらいの松が生えており、雑木林で生い茂っていました。遠足に来た子がよく迷子になり、捜索依頼の呼び出しが、電話があった我が家に度々かかってきました。その度に、迷子の捜索に加わりました。
 現在では、松くい虫で松が無くなり写真のごとく、迷子になるなど考えられません。砂丘形成の時間からすれば、今、真にローソクの火が消えかかっています。即ち、自然の状態で、砂丘の起伏をキープすることは今では不可能です。150~200年後には砂丘列の砂山は内陸に有る、合せガ谷スリバチや追い後スリバチに吸収されて平らな砂地になると推測されます。

 福部村のラッキョウの植え付けは、写真のように溝を掘って溝の底にラッキョウを置きます。すると、1~3日後には次の写真のように、風による砂の移動で砂が被さって発芽していきます。このように、高い所から低い方に砂は移動することから、「箱庭」における起伏(代表がスリバチ)は、近い将来埋まると推測されます。

福部村のラッキョウ畑の植え付け
福部村のラッキョウ畑の植え付け
福部村のラッキョウ畑(数日後)
福部村のラッキョウ畑(数日後)

人工的に起伏を残す

 人工的に起伏を残す事は、いろいろな異論が有ると思われますが、人工的に砂丘の生成と維持メカニズム、及び形態を壊しているので、起伏の存続方法は人工的に行うことしかありません。内陸スリバチに埋もれている砂を、砂丘列まで機械によって砂を運搬し、起伏を整える。毎年除草を行いつつ起伏を整えるといった方法しかないでしょう。
 賀露の河口の砂や、岩戸方面に流れていく砂を掘り、それを砂が失われていく砂丘側に戻す「サンドリサイクル」はまさに、この人工的な手法です。この「サンドリサイクル」の陸版がいるのかも知れません。